緊急連絡。
おばあちゃんが7時20分ごろに意識を失い、救急車を呼んだ。
人工呼吸をしてたが、戻らなかったっぽい。
今救急車で病院に運ばれていった。
当直明けの2023年4月17日は、父からのこのLINEで始まった。
母方の祖母が亡くなった。午前10時25分、死亡確認。
正直に言うと今回このLINEが来た時は特に後悔も無ければ、動揺することもなかった。
そうか。今日だったのか。
火葬し、葬儀を終えると私は日常生活に戻っていく。
この日胸にいだいた思いが頭をよぎることは、だんだんと少なくなっていくだろう。
そのためこの日に胸をよぎったことをいつでも思い出せるように、文章に書き記していく。
メメント・モリ
メメント・モリの意味をWikipediaより引用する。
メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句。
・・・Wikipediaより引用。
私の中でのメメント・モリの解釈は、この人と会うのはこれで人生最後かもしれない、と思いながらその人と会うことである。
ただ当然のことながら、毎日そのような気持ちで生活しているわけではない。
妻と会う時や子どもと会う時、職場の同僚と会うときにこのような思いを抱いているかというと、そんなことはない。
明日も同じように会うだろうと無意識に思いながら、生活をしている。
メメント・モリを抱きながら毎日を生活するのが理想的ではあるものの、正直それは現実的ではないだろう。
ただ祖父母に対しては違っていた。年齢が85歳を超えたあたりから、これが最後かもしれんな、と会うときは常に思っていた。
医師として経験を積み、人は急変することがあるんだと知識だけではなく肌で感じられるようになると、その傾向はより高まっていく。
特にコロナ禍が始まってからは顕著だった。
コロナ禍が起きてから前より「死」を身近に感じるようになりました
普段は
「急変時にどうするか相談して下さいね」
と伝える立場なのですが息子達と遊んだり妻と談笑する何気ない日常も
「これが最後かもしれない」
と思うと
「この瞬間を大事にしなくちゃな」
と心から感じるようになりました
— 内科医たくゆきじ (@takuyukiji) April 16, 2020
私は祖父母から世話になったと強く思っているので、可能な限り祖父母に会いに行くように努めていた。
年齢を重ね体力の衰えにより外出が難しくなると、会いに行くととても喜ぶ。
ひ孫にあたる私の息子たちも、だんだんとなついてくれていった。
今年長男が小学校に行くこともあって、4月上旬にランドセルを背負わせながら会いに行ったのが最期となった。
この時も「もしかしたらこれが最後かもしれないなぁ」と思いながら、会っていたと思う。
そこで冒頭の父からのLINEが入った。
自分の中での受け入れは3年前のコロナ禍の時からできていたので、特に違和感なく受け入れられたのだと思う。
そうか。今日だったのか。
お別れの時間
自分の中では無意識のうちに受け入れはできていたものの、ひ孫にあたる私の息子はそうではなかった。
長男に祖母が亡くなったことを伝えたところ、泣きじゃくってしまった。
「もっとお話をしたかったのに」と。
まだ小さいし、受け入れができていなかったのは当然のことだろう。
ただその後綺麗にしてもらい納棺されている祖母と長男を会わせると、受け入れはできたようだった。
面会後とてもすっきりした表情で自宅に帰ることができた。
亡くなったこと自体は悲しいけれども、お別れの時間をしっかり取ったことで、今回の別れを受け入れることができたようだった。
そのため受け入れがまだできていない段階で突然の別れを迎えた場合、お別れの時間をしっかりとることは自分の気持ちに踏ん切りをつけるためにもすごく大事なことなんだと実感した。
葬儀という営みを行う理由についても、よくわかった気がする。
メメント・モリとお別れの時間
メメント・モリを抱きながら誰かと会うことで、その誰かとの別れを受け入れることができる。
受け入れができていなかったとしても、最後にお別れの時間をしっかりとることで段々と受け入れることができる。
この二つが今回得られた私の学びである。
人の死と向き合うことが多い仕事についているため、このことに関しては胸に刻んでいきたいと思う。
最後に。
今回亡くなったのは小さい時にごはんを食べさせてくれて、私たちの世話をしてくれたかけがえのないばあちゃんである。
感謝の気持ちとお疲れ様という二つの思いで胸がいっぱいになる。
今まで本当にありがとう、ばあちゃん。