私に特殊スキル「過集中」が備わっていると初めて気づいたのは、大学受験のときである。
まずは過集中を定義する。
過集中を端的に表現すると「火事場の馬鹿力」である。
追い詰められた時、このままではまずいと私が心の底から認識した時、「過集中」の発動条件が満たされる。
この条件を発動せざるを得ないくらい私が人生で追い込まれたのは、大学受験のときが初めてだ。
過集中が初めて発動
たくゆきじ
と心の底から感じたあの冬、私の中の「過集中」のスイッチが人生で初めて入ることになった。
過集中のスイッチが入ってからの期間は、自分の部屋からほとんど一歩も出ないで勉強を続けていた。
1日の勉強時間はおよそ15時間くらい。
しかも集中しっぱなしの15時間だ。
朝起きてご飯を食べて即座に机に座る。そして無限に勉強を続ける。
時計なんか関係ない。疲れたら寝る。そして起きたらまた勉強を始める。
それをずっと続けていたところ、急激に成績は向上した。そしてなんとか滑り込むことに成功した。
これが私が体験した初めての過集中である。
過集中の発動のための代償
その後も人生の要所要所で過集中は発動することになった。
医師国家試験前や論文執筆時。
1日15時間くらいぶっ通しでやり続ける。
集中しっぱなしの15時間。これを目標達成までやり続ける。
私は締切のある仕事は短距離走で一気に走り切るタイプで、走りはじめたら朝から晩まで15時間とか集中し続けて無理やり完成まで持っていくんですけど、その際に自分の気力を一気に放電してしまうので、前後に充電時間として「何もしない時間」を同時に必要とするということに最近気がつきました
— 内科医たくゆきじ (@takuyukiji) April 2, 2022
私の今までの人生はこの「過集中」という特殊スキルに助けられて、どうにかここまで来たと行っても過言ではない。
ただ念能力に制約と誓約という言葉があるように、過集中という特殊スキルを発動するためにはある代償を支払わなければならない。
その払わなければならない代償はなにかというと「食欲を一切抑えられない」という代償だ。
そう。端的に言うと、過集中を発動させている間は極度に太ってしまうのである。
私はこれを「祭壇に供物を捧げる行為」と表現している。
祭壇に供物を捧げ神を降臨させる
この過集中という状態は、陳腐な表現で恐縮だが
神を自分の中に降臨させる行為
に近いと考えている。
自分の体を祭壇に見立て、糖分という供物を体の中に絶えず供給する。
その結果神が自分に降臨してきて、恐るべきスピードで作業が進んでいく。
過集中モードの時、食欲は一切抑えず脳をすべて作業に向かわせる。
このときはメールなんかもほとんど遮断しているし、Youtubeもほとんど観ていない。
ノイズとなりうるほぼすべてを排除して、供物を祭壇に供給し続けることでなんとか神は降臨し続けてくれる。
このときは本当に自分の食べたいものを食欲の赴くままに食べる。
お腹がいっぱいになるという感覚より、頭をフル回転し続けるために糖分を充填するという表現のほうが適切だ。
供物には一切制限を設けない。
そのため本当に降臨が必要になったときには、私の冷蔵庫の中にはアイスをはじめとした供物が無限に貯蔵されており、神が降りている間に課題を一気に完成まで持っていく。
その結果大学受験のときも過集中を発動させていた期間で10kgほど太ってしまったし、医師国家試験の時も10kgほど太ってしまった。
そのため私は、この過集中のことをドラゴンボールでいうところの3倍界王拳のようなものと捉えている。
・・・ドラゴンボール 20巻より引用
この過集中時には期間限定で底力を出し切ることができるが、心身ともに尋常ではない負荷をかけている。
自分に一定以上の負荷をかけたときの表現系は様々であろう。
太るものもいれば痩せるものもいる。
私の場合は体重に如実に現れ、間違いなく太る。
神を降臨させるためには、祭壇に供物を供給し続けなければならないからだ。
まとめ
いかがだったであろうか?
この記事を読んでくれていれたあなたが、今回書いた内容を共感してくれた可能性は極めて低い。
なぜなら私が今まで生きてきて、今回の内容を話して心から共感してくれた人はたった1人だけだったからだ。
あなたはどうだろうか?2人目の理解者になってくれただろうか?
ただもしあなたにこの感覚が分かるのであれば私とは美味しいお酒を飲めると思うので、ぜひ飲みに誘ってほしい。
自分の中に神を降臨させる方法について、大いに語り合おうじゃないか。
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