最近こんなメールが届くことが増えた。
Recognizing your expertise in cardiology, we extend an invitation for you to join us as our Distinguished Speaker. It would be a privilege to hear about your research titled “▲■”.
意訳:あなたがpublishした「▲■」という論文について我々が開催するカンファレンスにゲストスピーカーとしてご参加いただけませんでしょうか?
We would like to invite you to contribute a paper for publication in our upcoming issue for the 「●×」.
意訳:「●×という医学雑誌」にあなたの論文を寄稿いただけませんでしょうか?
聞いたことのないカンファレンスからの講演依頼や、聞いたことのない雑誌からのインビテーションである。
たくゆきじ
と思いながらカンファレンスのホームページを開いてみると見るからに怪しかったり。
とウキウキして雑誌名を検索してみると、「●●(雑誌名) ハゲタカ」と予測変換で出てきてげんなりしたりもする。
なんやねんと。
ただそれでも謎のカンファレンスだろうと、ハゲタカジャーナルからのインビテーションだろうとなんだか少し嬉しかったんだよね
自分の論文を読んでくれた人がいるということだから。
自分が書いた何かが読まれること
今まで私は論文を書いていてどこかに引用されることもなければ、この論文読んでますよと声をかけられることもなかった。
そういう意味では自らの論文が世の中に何かしらのインパクトを与えていたかというと、全くそんな事はないというのが実情だ。
変わったことといえば、ハゲタカジャーナルからのインビテーションが届くようになったことくらいである。
ただそれでも私は嬉しかったんだよね。
これってまぁまぁ豊かな経験だと思う。
これは自分の学術活動だけではなく、Twitterやブログを通じた発信活動の経験からも感じていた。
学会ではじめて会った先生から、「あのブログ面白かったよ」とお声掛けいただいたりするととても嬉しい。
だから今まで自分で書いた論文が世の中になんの爪痕を残さなかったとしても
という感じで、ハゲタカジャーナルしか呼び込まない我が子達を温かい目で見ることができていた。
そんな中嬉しいことがあった。
はじめて論文が引用された
それは何かというと、私が書いた顕著論文が初めて他の論文に引用されたことだ。
ふと自分の論文を検索したところ、私の1st authorの論文が他の論文から初めて引用されているのに気付き、とても嬉しくなりました
学術の世界に自分の爪痕を残したような感覚ですね…!!
— 内科医たくゆきじ (@takuyukiji) September 20, 2023
2022年に初めてacceptされてからというもの、私は原著論文を2本、ケースレポートを3本書いていたが、これらの論文はどの論文にも一度も引用されることはなかったわけだ。
出来の悪い、我が子達。
ハゲタカジャーナルしか呼び込まない、一切引用されない我が子達。
そうだ君たちを永遠のゼロと名付けよう。
ようやくこの不名誉な二つ名を返上するときが来た。
ただ引用されたからといって直接的に私になにかメリットが来たかというと、そんなことは一切ない。
得られたのは学術の世界にかすり傷程度の爪痕を残せたという、漠然とした満足感だけである。
ただそれでも今のところ、その満足感が割と嬉しい。
ブログと論文とmeme
人として生まれたからには、業績、後進の育成、子孫、この3つのうち最低限どれかは達成したい野心を持ってる。
語り継がれる業績をなしたり、思想や技術を後世に伝えたり、遺伝子を残したり、何かしらの形で爪痕を残さないとただ糞して寝るだけの肉塊じゃないか。
個人的な意見だから異論は認める。
— P (@mounting_p) October 9, 2019
memeを残すというのはヒトの根源的な欲求に関わってるのだろう。
当アカウントもありがたいことにおかげさまで人生変わりましたという声を頂くことがあるが、仕事とは全く別の喜びを感じる。
医者って仕事を通して感謝される機会はあるけど研究でもしない限りmemeはほぼ残せないからね。
— P (@mounting_p) October 24, 2020
ピエール先生のこれらのツイートは私の心に強く残っており、今回論文が引用されたときになんとなく思い浮かんだ。
と。
ブログやTwitterを読んでもらっている、という形でmemeを残せたことはあったが、論文が引用されたという形でmemeを残せたというのはまた別な満足感がある。
つまり誰かが自分の論文の価値を認めてくれたということだから。
それに今回気付くことができた。
そのため今後も論文という形でのアウトプットは、なんだかんだいって続けていきたいと思う。
自分なりのmemeを残すために。