「メキシコの漁師とMBAの話」という、有名な逸話がある。
とても有名な逸話なので読んだことがある方もいるかもしれないが、もしよんだことがない方がいるならば読んでみてほしい。
【外部リンク】【原文】メキシコの漁師とMBA持ちの男の話(和文・英文)
この話に関して、あなたはどう捉えているだろうか?
かつての自分の捉え方と、現在の自分の捉え方がだいぶ異なるので、その変化に関してまとめてみようと思う。
かつての自分は漁師寄りの考え
SNS上でこの逸話に関する意見を見るときは、大体のケースではMBAの人に対して否定的な意見がみられることが多い。
という論調の意見が多いように感じられる。
実は以前の私もこんな感じの捉え方をしていた。
これを最初に強く感じたのは、とある事情で慢性期病院に半年間赴任したときだった。
慢性期病院に赴任したからこそわかることも沢山あり、大変勉強になった6ヶ月間だったことは間違いない。
電子カルテと紙カルテの違いから急性期病院と慢性期病院の環境の違いに気付いた話 慢性期病院に異動になって気付いたことただこんなことも思った。
今まで急性期病院にいた時より時間に余裕があるにも関わらず、なぜか給料が今までより高い。
最終的にここにたどり着くのであれば、ずっと急性期病院で苦労しなくても最初からここで働き続ければいいんじゃないか?
いたって正直に文章に落とし込むと、こんな感想である。
まさしく冒頭の漁師を支持する人に近い考え方だ。
しかしあれから4年ほど経った今は、この頃とはだいぶ違う気持ちを抱いている。
なんと今の私は、どちらかというとMBAのコンサルタントに共感してしまうようになってしまったのだ。
今の自分はMBAよりの考え方
このMBAのコンサルタントは、漁師に対して起業し、株式公開し、上場して売り抜けるように伝えている。
結果として最後に漁師と同じ場所、同じ境遇に行き着くことになったとしても、その過程でしか味わえない興奮があったり、自分だけの勝利があるのだろう。
個人的には、この「自分だけの勝利」というのがポイントだ。
自分だけの勝利とは端から見てどうでもいいと思われるようなちょっとした出来事だとしても、自分には強烈な脳内麻薬を出させてくれるような体験と個人的に定義している。
たくゆきじ
思えばブログの運営でも、私に「自分だけの勝利」を体感させてくれた出来事がたびたびあった。
最初に自分以外の誰かがブログを読んでSNSに面白いとシェアしてくれた時。
お問い合わせメールから、初めて仕事の依頼が舞い込んで来た時。
一度も直接会ったことがない方が、自作のLineスタンプを買ってTwitterで報告してくれた時
これらの出来事は私にちょっとした「自分だけの勝利」を与えてくれた出来事である。
最近本業でもそれを実感することがあった。論文のAcceptだ。
人生初の論文がAcceptされたので、その道のりを書き記しておくこれも本当に嬉しかったし、あの時の喜びは今でも割と薄れていない。
こういう自分だけの勝利を積み重ねていくことは、自分の人生にたしかな充実感を与えてくれるのだろうと思うようになった。
人生の満足感について
最近はこんな感じの思いを抱いている。
という感覚だ。
漁師がいいとかMBAがいいとかそう言う話ではなく、自分の中に納得できる充実感があれば、それでいい。
私が好きな桶狭間戦記という漫画に、太原崇孚雪斎(たいげんすうふせっさい)という今川義元の軍師が出てくるのだが、このフレーズが印象的だった。
将来の自分がどのゴールに辿り着くのか全くわからないが、自分の人生の道中そのものを楽しむことを意識していきたいと最近は強く思っている。
ちなみに「メキシコの漁師とMBAの話」に関する解釈はフランケン先生のものがとてもおもしろかったので、こちらのツイートもぜひご覧下さい。
両者の「ちょっと漁して、海辺でビール飲んでギター弾いて」は、表現系が同じだけで根本的に違う。
この話のキモは「緩い価値ある生活は、他人に取り上げられない事で初めて価値を持つ」という部分にある。
この話はそこに着目するか否かを炙り出すために、敢えてスタートとゴールを同じにしてある。 https://t.co/1PB8IHLgxN
— フランケン(クジラ偶蹄目 (@BlackSheep8270) March 28, 2022
志望科や進路が決まらない医学生、研修医へ。私の決め手は体感時間でした。 手術やカテーテルが終わった後にネクターを一気飲みするのは最高だと伝えたい。